芸術は爆発で、人生は表現だ!!

顔を隠す女性

定期的に訪れる、自分の弱さと正面から向き合わされる状況。

有難き幸せ。

 

皆さんは、

①状況に自分を合わせる事

②自分の特性に合わせて状況を作り出す事

どちらが結果的に良い状況を生み出すと思いますか??

 

日本の義務教育においては、圧倒的に前者が強要されています。

それは、まさしく「教養」ではなく「強要」。(どや)

 

僕は、後者の実現を目指してきました。

しかし、それも状況に依存しているので、永続性はありませんでした。

 

例えば、人格の優れたお金持ちが居たとします。

ひとたび、その人がお金を失うとどうなるでしょう。

その人格は崩壊してしまうのでしょうか。

 

そう考えると、人間の「本質的な成長」というのは、極めて困難なことだと言えます。

というか、ほぼ無理。

 

つまるところ、「自己犠牲」が伴っているかどうかが、その人の本質だと言えます。

その究極がイエスキリストやマザーテレサなわけですからね。

 

少なくとも僕はこの人生において、あの領域に到達できるとは到底思えません。

醜いほど欲にまみれちゃってます。

そうなると、知識欲でさえ単なる欲望に過ぎませんからね。

 

ここで大切なのは、それが「単なる自己犠牲」ではないということです。

「人に尽くすことが自分の幸せである」というマインドにもっていく必要があるということなのですが、心は自分では動かせません。

ですので、欲にまみれた僕のような人間は、この一生においてはずっと欲にまみれたまま生きるより他に道がない、ということになります。

もう救いようがないですね(笑)

 

しかも、困っている人がいない状況が居ない場面で自己犠牲をしたところで、本質的な意味はありません。

つまり「我慢=自己犠牲」ではないということです。

山にこもって苦行を繰り返す”だけ”では成就しない、わけですね。

 

それ自体を否定しているわけではありません。

じゃあ、僕たちにできる他者貢献とは、いったい何でしょうか。

 

ずばり「表現」です。

 

様々な経験を経て、その人生を、その自分を表現すること。

これが唯一にして絶対的な使命の一つと言えるのではないでしょうか。

 

イエスキリストは、処刑されても表現することを辞めませんでした。

仏陀も、死ぬまで教えを説くことで表現し続けました。

人によっては、事業だったり、芸術だったり、言葉だったりと、様々な表現方法がありますが、結果的だろうと目的は別にあろうと、とにかく自分の人生を世の役に立てるということは、総じて自分を表現することに帰結します。

匿名で批判することも手段の一つではありますが、それは石ころのようなものに過ぎません。

 

現代では、表現と聞くとSNSが真っ先に思い当たるかもしれませんが、ほっとんどの人は表面的なものしか表現しません。

その点において、ホリエモンのような人の凄さが分かると思います。

 

僕がこのブログを書いたりすることで、知らずに傷ついてしまう人がいるかもしれません。

それが最大の懸念なのですが、そう思う方は今後見ないでください。

 

もう僕は表現することに躊躇しません。

だって、それが僕にできる一番の社会貢献だと思うので。

 

ニートだろうとホームレスだろうと、僕はあんまり関係ないと元々思っています。

それがその人の「表現」であれば。

 

できることなら、後々に体験談として書籍化するぐらいまで行ければベストですが、皆が皆そうはいきませんからね。

それができれば、同じ境遇の人に勇気を与えられる可能性が高くなる、というだけの違いですね。

 

もうほんと、人の目なんてクソくらえですよ。

さすがに、処刑されるまで自分を突き通す勇気が今の僕にはありませんが、陰口、悪口、噂話の類だったら何も思わなくなりました。

どうぞ嫌ってくださいなと。

 

ただ、さっきも書きましたが、人を傷つけたくはないです。

つまり、僕を嫌いな人とはなるべく関わらないようにする必要があるということですね。

 

ネットやテレビだと、仕組み上不特定多数に届くので、「角」となりうる本質以外の部分はなるべくそぎ落とすべきなのでしょうが、今の僕にはそれほどの影響力があるとは思えないので、今の気持ちを気持ちのままに書いています。

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

おやすみなさい。

Author: wayou

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です