やじろ兵衛

やじろべえ

もし「肩書」や「社会的役割」、「家族」を失った場合、果たして自分は自分でいられるでしょうか。

日常的に、人は相対的な価値観で自分を認識しています。

・部下がいるから上司

・子供がいるから父親

・会社があるから社長

等といったように。

 

では、外部の影響を全く受けない「自我」は存在しないのか。

 

僕個人の見解としては、魂が巡る「輪廻」という概念は、なんとなく腑に落ちます。

しかし、記憶がリセットされている以上、「自我」という絶対的な”何か”があるとは思えません。

つまり、私はあなたでもあり、自分が自分だけのものである理由がないというか、何を以てして、自分であり得るのかが分かりません。

仮に死後の世界があるとすれば、そこは意識体だけの世界であり、主観的な意識だけで世界を認識してい状態になります。

肉体的なものが与えられていたとしても、それは意識の問題に過ぎないということです。

 

つまり、死後の世界や輪廻転生、天国や地獄があろうとなかろうと、大した問題ではないということですね。

ここがスピリチュアル(信者)の落とし穴。

そっちに意識をフォーカスするのは、「”逆に”人生における本質」ではありません。

 

何が言いたいかっていうと、今を楽しく生きる事こそが人生の本質である、ということです。

そうなんです。結局そこに帰結します。

 

そして、

 

自分だけの幸せには永続性がないので、皆が楽しい方がいいよね。

そのためには、「愛と感謝」をもって生きた方がいいよね。

 

そこにお金は絶対条件じゃないけど、ある程度あった方が楽しいよね。

仕事を頑張れば、人の役にも立てるしね。

しかも、自分が好きな事で人様のお役に立てるなら、それほどいい事はないよね。

 

まずは自分が幸せにならないと、人の幸せを願うことはできないよね。

まずはそのために、頑張らなくちゃね。他人の為にもね。

 

自分が嫌いな人でも、誰かに必要とされていたり、愛されているかもしれないよね。

だから、自分との距離をあけるだけで良くて、世の中から排除する必要は全くないよね。

 

善悪の判断の基準となる法律は、人間が勝手に決めたものだけど、ただ、それを破ると刑務所に入っちゃうから辛いよね。

だったら、法律は守らないといけないよね。

 

欲望は悪いものじゃないけど、それで人を傷つけちゃったら、元も子もないよね。

だって、それじゃあ皆が幸せになれないからね。

だから「幸福」と「快楽」は切り離して考えた方がいいよね。

 

 

世の中って、実はものすごくシンプルにできています。

人間ってややこしくしていくのが好きなんですね。

 

そうやって、格差やある種の障壁を設けることが目的なんですかね。

まぁそれも楽しいですけどね。

 

楽しいって、ポジティブな状態だけじゃありません。

意外と、貧乏生活が楽しかったり、失恋して泣いている自分が好きだったり(笑)

 

そう、「不便」って楽しいですよ。

皆がスマホや車、何もかも持っちゃったら、他人を必要としなくなっちゃいますからね。

 

昨今の旅行ブームは、こういった不便さを求めてる部分もあるんじゃないですか。本能的にね。

不便である境遇に身を置くことで、人に感謝できたり、新しい出会いがあったり。

 

人は「自分が与えている」という意識が強くなると、感謝ができなくなります。

逆に「与えてもらっている」という意識があれば、感謝できるようになるのでしょうか。

あまり行き過ぎると、ひねくれてしまいそうですが(笑)

 

理想を言えば、「愛し愛されている状態」がベストですよね。

何事もバランス、中庸であることが大切です。

 

ここで言っているのは、あくまで理想論です。

「じゃあ、お前は実践できているのか!」と言われると、Noですからね。

 

ただ、こういった理想を軸に置いておくことで、ガッタガタで今にも落ちそうな僕のやじろべえが、少しずつ中心に使づいてくることを願っています。(笑)

おしまい。

Author: wayou

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