差取り

地蔵

出会いとは、一体何なんでしょうか。

まず、あらゆる出来事が必然なのか偶然なのか。

 

端的に言えば、常に学ぶ姿勢がある人は「必然の人生」を送っていて、

意欲的に学ぼうとしない人は「偶然の人生」を生きています。

 

例えば、異性との出会い。

 

恋をしたがフラれてしまった。

傷ついただけじゃん。だったら、出会わなければよかった。

というのは「偶然の人生」。

 

フラれてしまったけど、得るものがあったし、次の魅力的な人と出会う確率が高くなった。しかも、自分や相手が人間的に多少なりとも成長できたと思う。

これが「必然の人生」。

 

ポジティブ、ネガティブで分けることもできるかもしれませんね。

 

ただ、究極的な「必然」とは、「全てを受け入れて何事にも全く期待しない」という姿勢になりますが、それは無理です(笑)

こういった理論を自己啓発的に唱える方も見られますが、人生のどん底にいる人じゃない限り、説得力を持ちません。

まぁ、自己啓発とは得てしてそういうものですが💦

とはいえ、そういった思考法を知ることは、とても有意義なことだと思います。

 

「思考は現実化する」理論にも言えることですが、ポジティブの一点張りは危険だと僕は思います。

第一、ほとんどの性質は先天的な素養であることが多いので、それに対して良い悪いのジャッジを下してしまう時点で、諸刃の剣に過ぎません。

 

つまり、「ありのままの自分を受け入れてあげる」という姿勢が最も重要であり、幸福への最短ルートと言えるでしょう。

 

「ありのままの自分なんて受け入れられないよ~。」という自分を受け入れてあげる。

「そんなこと言ったってさ~」という自分を受け入れてあげる。

「誰にも受け入れてもらえないし~」という自分を受け入れてあげる。

 

よく言われることですが、人はだれしも良い面と悪い面を持ち合わせています。

一般的に良い人だと思われやすい人は、初対面でも伝わりやすい良い面を持っているというだけのことで、これも一つの特性です。

こういった方が営業に来られると、まー見抜けないですね(笑)

騙されたとしても、批判はただの濡れ衣であり、見抜けない方が期待しすぎてしまっただけ。

 

とかく、人は他人に過大な期待を抱きます。

「この人となら分かり合えるかも!!」

「きっと運命の人なんだ!!」って。

めったにあることじゃないですけどね。

 

僕は普段人にあまり依存しないので、近しいと思える(稀有な)人を見つけると、極端に依存的になります。

依存的であるというのは、その人に対して何かしらの期待を多分に抱いている、という状態です。

 

じゃあ、この「依存」や「期待」を失くせば豊かに生きられるか、というとそういう訳でもないようです。

いや、これも究極的な「一切は空である」という領域においては、それらを含めた感情を失くすことが幸福であると説いていますが、普通の人にはただの孤独です。

 

「じゃあ、どうすればいいの?!」

 

それは・・・自分で考えてください(笑)

ごきげんよう。

Author: wayou

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